言語の修得はちょうどスポーツや音楽の修得に似ています。
どんなスポーツにしても楽器の演奏にしても、いきなり上手にこなせる人がいるでしょうか?
例えば野球のバッティング。まずはバットの持ち方を知り、実際にスイングすることから始まります。スイングもたった数回振ったくらいではバットはボールに当たりません。何度も何度も同じ動作をくり返し、筋肉を動かすことで、一定のフォームをからだに叩き込みます。野球選手は手のひらにたくさんのマメを作りながら、作ってはマメをつぶし、またその上にマメを作り、といったように、日々素振りをくり返してバッティングの技術を習得していきます。
このような日々の練習は野球にかぎったことではありません。どんなスポーツでも基本動作のトレーニングが必要とされます。テニス、剣道、ゴルフ、サッカー、何でもそうです。基本のフォームの練習、ボールの蹴り方から練習するはずです。また、スポーツだけではありません。ギターやピアノなどの楽器の演奏も日々の基礎練習なしには上達しないはずです。
理論を知り、学ぶことはとても大切です。ですが、理論をどんなに研究したとしても、それで実践力がつくわけではありません。バッティングの理論をいくら追究したところで、実際にホームランを打つことができるかといえばそんなことあり得ません。理論を実践するにはそのためのトレーニングが不可欠です。スポーツや楽器の演奏なら、理論と実践が違うことは容易に想像がつきます。
我々日本人がなぜ英語を話せないのか・・・?その答えのひとつがそこにあります。文法などの知識をいくら学んだところで、英語を聞いたり話したりする実践力は身につかないのです。私たちはただの頭でっかちにすぎなかったということです。足りなかったのは、『語学もスポーツである!』『語学には基本の反復練習が必要だ』という発想なのです。